新聞記事:義務教育体制整わず 盛岡・「杜陵学園」

 児童福祉法改正により、学校教育を受けさせる義務が課された盛岡市厨川2丁目の児童自立支援施設県立杜陵学園(中村純夫園長)で、児童生徒が旧来の教員以外の指導による学習を強いられている。1998年の同法施行から既に11年。全国的には施設内の分校や分教室の開設が進む中、行政間の連携不足という「縦割り」のひずみから、子どもたちを置き去りに「就学義務」は果たされないままだ。

 杜陵学園には、不良行為をした児童や、虐待を受けるなど家庭に問題のある県内各地の小中学生らが児童相談所の措置などで入園。入園前の学校に籍を置き、寮生活を送る。4日現在、小学生2人、中学生7人を含め計12人が在籍している。

 授業は、学園が採用した教員免許のある非常勤の学科生活指導専門員と、授業だけを指導する時間講師の計7人が実施。県教委からは教諭2人が福祉職で派遣されている。

 ただ、この「義務教育に準じた教育」は法改正後、数年間に限り経過措置として認められたもの。中村園長は「不適切な養育環境ゆえに非行に走り、虐待を受け、不登校に陥った子どもの育ち直しの支援をする施設に学校教育が欠落している状況はおかしい」と強調する。

 なぜ、法施行から11年たっても義務教育が始まらないのか。背景には行政の足並みがそろわなかったことが挙げられる。

 県、県教委、盛岡市教委は98年から2003年にかけて、義務教育を受けられるよう最寄りの小中学校の分校、分教室の導入を協議した経緯がある。

 県は、教職員給与などで国の財政措置が講じられ、他県でも設置例の多い「市立」を主張。一方、盛岡市教委は県内全域から児童生徒が入所する施設の学校の設立主体になることに難色を示し、議論は一度、暗礁に乗り上げた。

 協議は08年度再開され、小学生には分教室、中学生には分校を開設することで大筋一致したが、「どこが主体となるか」は正式に決まらず、開設時期の見通しも立っていない。

 盛岡市教委の八巻恒雄教育長は「教員配置数などを明確に示されなければ難しい。詰めの協議が必要」と、市立分校を受け入れるには越えなければならないハードルがあることを示唆。

 教員配置などの権限を持つ県教委の宮卓司学校企画課長は「ボールは県保健福祉部にある。県教委は支援する立場」というにとどめる。

 児童自立支援施設の義務教育とは 全国の児童自立支援施設では長年、福祉の専門職員が生活と学習を一体で指導。就学義務は免除され、義務教育に準ずる教育が行われていた。97年に児童福祉法が改正され、施設の長に就学させる義務が課された。09年4月現在、都道府県立49施設のうち36施設で市町村立小中学校の分校などを開設している。

                岩手日報(2009.10.5)

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学校教育実施については、記事の通り既に11年が経過。一昨年度辺りには未実施施設は厚生労働省より呼び出しを受けたとか、受けないとか。
厚生労働省管轄の施設で文部科学省管轄の学校教育を実施するのに、このような「どこが責任を持つのか」という議論になりがちです。トップクラス(厚労省文科省)できちんとした方向性を出せばよいのに、地方任せ。地方は結局、お上に聞くので、法律に照らし合わせると、決まり切った答えしか出せず、思い切った方法もとらないのが、お役所仕事。全国的に分校・分教室がほとんどであるが、それも地方によってはバラバラ。全国で2例しかない本校方式を採用している施設はすごいな、と思う。特に、東京クラスの入所児数の多いところでは実施可能だが、一地方である岡山県は思い切ったことをしたな、と。岡山は市教委との連携が良かったと聞きます。岩手がどうかわかりませんが、元々施設と関係機関、この場合、市教委などと連携がとれていないと難しい問題でしょう。

しかし、学校教育実施でなにより議論しなければならないのは、「どこが責任を持つか」なんて責任逃れのことではなく、利用児にとっての学習保障、進路保障でしょう。もちろん、その為には、それまで継続してある施設あってのこと、上手くいっていない施設は、それを機に建て直しでもするとして(よく施設職員が危惧する「軒を貸して母屋をとられる」なんてことに)、機能している施設はうまく融合していかねば、根幹が揺らいでは共倒れですね。