帰りたい:子供にシェルターを/上 母の暴力に家出繰り返し /京都  毎日.jp 毎日新聞 2011年1月3日 地方版

 ◇欲しかった自分の居場所
 「子供のころ、雨が降る日はこんな場所でしのいだこともあった」。公園に設置された遊具のトンネルを指さし、京都市の会社員、昇さん(22)はつぶやいた。

 未婚の母の虐待から逃れるため、初めて家出をしたのは小学校に入学したばかりの6歳の時だった。京都市内で祖父母と母、双子の兄の5人で暮らしていたが、情緒不安定な母から暴力を振るわれ、頻繁に家を抜け出した。もちろん現金などなく、食べ物を盗んでは空腹を満たした。

 自宅が火事になり、2年間養護施設で過ごしたが、9歳の時に1人暮らしをしていた母に引き取られた。しかし、暴力に耐えかね、1カ月で兄を残して祖父母の自宅に逃げ込んだ。12歳の時に再度母に引き取られたが、母の暴力はやまず、兄と2人で家を出た。2日間、橋の下で寝て過ごし、市内をうろついているところを児童相談所の職員に保護され、養護施設に入った。

 養護施設は同世代の子供ばかりだったが、心を許せる友達はできず、相談できる職員もいなかった。職員が寝た後に2、3人で養護施設を抜け出しては夜遊びし、バイクを盗んだこともあった。14歳の時、注意する職員に殴られて、養護施設を飛び出した。友人の家を転々とし、寝る場所が確保できない時は公園で野宿した。中3になる前に祖父母宅で暮らすようになったが、中学校へ放火した仲間と共に建造物侵入容疑で逮捕され、児童自立支援施設へ入った。

 児童自立支援施設を脱走しては連れ戻されることを繰り返した末に、再び祖父母宅で生活するようになり、親戚が経営する建築業を手伝うようになった。窮屈な学校に行くことを考えれば働くことも嫌ではなかったが、人間関係になじめず、職を転々とした。弁護士名義で借りたアパートで暮らしていた18歳の時、遊ぶ金欲しさに仲間と飲食店の金を盗んで窃盗容疑で逮捕され、少年院へ送られた。

 逮捕された当初、「自分は悪くない」と他人を責めたが、少年院で自分を見つめ直す時間ができ、次第に原因は自分にあると考えるようになった。「自分のためになる」と初めて勉強に専念し、大学入学資格検定(大検)の合格を目指した。19歳で少年院を退院してからも、パチンコ店で働きながら大検合格のために勉強を続けた。派遣会社を経て、住宅リフォーム会社に就職して1年半。仕事で忙しい日々を送るが、「この会社で仕事を続けたい」と意欲を示す。もう、人間関係で嫌なことがあってもすぐ辞めようとは思わない。

 これまで、幼いころから生活する環境が短期間で変わり、自分の居場所はなかった。しかし、最近やっと居場所を見つけたと感じるようになり、こう思うのだ。「子供のころ、寝て食べる場所と、自分を受け止めて一緒に考えてくれる人が欲しかった。そうすれば、あんなこと(窃盗)をしなかったのに」

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 親の虐待などで帰る場所がない10代の子供たちの中には公的施設の受け入れから漏れるケースもあるなど、支援体制は十分とはいえない。このため、子供たちの就職支援や医療機関への受診援助などをする一時避難場所「子供シェルター」を京都に開設しようと少年事件を担当する弁護士らが取り組んでいる。しかし、運営費や開設場所の確保など課題は山積している。【古屋敷尚子】

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現在、シェルターがあるのは、東京・横浜・名古屋・岡山でしたっけ。
現実には対処療法的に緊急に受け入れる場所を確保していくことも必要。

でも、近年の虐待の増加を見ていると、根本的な解決にはならないのではないかと心配です。
子どもは減っているのに、虐待は増える。虐待を受けた子は「負の連鎖」へと。
おそらく、現在、虐待をしている親も、かつては被虐待児。
根本的な解決方法を模索していかなければ、いくら箱を作ったところで…

(決して、箱を作る方々を非難しているわけではありませんので。)